環境問題とは何なのか(2008/07/15)
環境問題の原因
環境問題の原因は極論すれば以下の2点となります。
1. 人口の増加
2. 生活の向上(=一人当たりの環境負荷の増大)
人間の生活が環境に対して与える影響の度合いはこの2つを掛け合わせたものです。
この2つの要因のどちらか、あるいは双方を大きく改善しない限り、環境問題の改善は
見込めません。
それは「人間の幸せ」を犠牲にすることですから、積極的に行うことができません。
たとえば江戸時代程度の環境負荷を目標とするならば、
1. 人口を当時まで減らし
2. 生活の程度を当時レベルとする
必要がありますが、現実的には無理な要求です。人類が地球上の生態系の一員として
あるためには、「個体数が一定数に保たれることで、種の存続が可能」という
ルールの上にある必要がありますが、すでに人類はその枠を超えています。
人類の語る環境問題は「人間にとって都合のいい地球」を維持するための取り組みです。
この事を心のどこかに置いておく必要があります。人口を養うために農地や宅地、その他
さまざまな方法で利用してきた(今後していく)土地(海洋、他様々な資源)を自然に
帰すわけにはいきません。
環境問題を語る人たち
環境問題の多くは商売のために語られます。学者は危機を煽ることが自らの利得となります。
研究予算と自らの職を得る手段だからです。本を出版し印税を得る人も同様です。
バイオエタノールは精製と運搬のためにエネルギーを使っています。栽培に化学肥料を
使用し、場合によっては飛行機で散布したりします。環境負荷の軽減はそれほど高くありません。
食糧と引き換えにするほどの価値のあるものとは思えません。が、商売としてみれば、食料として
売るよりも高額で販売できます。
世にエコロジーを謳う商品はたくさんありますが、販売の主な動機は商売であり、環境問題は
そのための宣伝文句の場合もあります。
環境を語る人のことで、気になっているのは、彼らは、会議や講演などの移動に
「手漕ぎボートと自転車」などを利用しているかです。まさか飛行機を使用したり、大排気量の
車を使用したりはしていないと信じていますが。(インターネットなど通信を利用しての会議や講演と
すれば、その分の環境負荷は減るはずです。)
多くの人は、環境をビジネスとして「だけ」で見ているわけではないと思います。あるいは、真に
環境を考えている人もいると思います。しかし、誤解しない方がいいのは、「環境を考えている人の考え」が
正しいとは限りません。「その方が信じている」に過ぎないわけで、「間違ったことを信じている」ことは
ごく普通にあることです。
環境問題の目標
環境問題の目標設定は重要ですが、困難です。地球を昔の姿に戻すのならば、人間の活動の
大胆な縮小が必要です。人口を減らす手段には人道的な問題が付きまとい、後進国の生活水準が
上がるに従い平均での一人当たりの環境負荷が高まることは止められないでしょう。
人類の活動による環境負荷を、100年前の水準に戻すことはまず不可能であり、現在の範囲を
維持することも非常な困難と思われます。その中で、「人類が将来的に渡り持続可能」である水準を
見極めて目標設定する必要があります。あくまでも「人類が」ということです。
「種が残ること(種の幸せ)」と「個が生き残ること(この幸せ)」には違いがあります。人類は
「個の幸せ」への希求が強いことで発展し、それが「種の幸せ」であった短い期間(産業革命以降)を経て、
ある程度の岐路に来ています。人間社会が持続可能であるために、個の幸せを制限する必要が
今後生まれるでしょう。
環境問題の定義
ツバルという国の水没が環境問題のシンボルされることがあります。しかし、海水面の上昇が
原因と思えません。海水面の上昇はメートル単位の現象ではないからです。他の環境負荷要因
(地下水のくみ上げ、道路などの建造など)によって地盤沈下したと考えたほうが自然に思えます。
「環境問題=温暖化=二酸化炭素」という単純な図式で語られることは、非常に偏ったものです。
温暖化が仮説であり、二酸化炭素が原因であることも仮説です。環境問題で考えるべき問題は
他にも多くあり、本質的である別の要因から目をそむけるためのスローガンに見えます。もちろん、
「温暖化=二酸化炭素」が現在の環境問題の一部を構成する重要な仮説の一つですから、そのための努力は
必要と思います。が、それ以外の事象にも目を向ける必要はあります。
世界規模での最優先課題は「貧困」であると思います。他にも、大気汚染、海洋汚染なども重要な問題です。
資源の枯渇(あるいはその争奪による戦争)、ごみの最終処分場なども深刻です。
「レジ袋を貰わないようにしたから環境に貢献した」と思うことは非常におこがましい。環境問題の
全容からしたら針の先ほどもない効果に思えます。そういう努力を何千、何万と積み上げねば、有効とは
言えません。
環境問題の方向性
生活を質素に事が環境への付加を軽くするのに役立つと思います。資源の消費を抑え、
排出するごみを少なくすることです。残らず使ったり、お古を貰ったり、そういう省資源が
大切です。ものを増やしたり変えたりする事で、省エネを行う場合は注意が必要です。
付随するあらゆる事を含め、環境に有益なのかを考える必要があります。
「もったいない」という言葉が流行りましたが、「金銭換算」の意味合いが含まれることがある様に
思います。「限りある資源」を有効に利用するためのキーワードであってほしいと思います。
特に日本は(土地も含め)資源の少ない国ですから、少ないものを大切に使用することが必要です。
環境問題は多岐にわたり、確実な理論もないことですから、「あらゆる面で」「できる限り」
ということしかないと思います。そして、少しの努力をすることが大切に思います。しかし、
その努力はほんの小さな一歩であることを忘れない。忘れないでいれば、次の一歩も踏み出すことが
できます。
追記:京都議定書に関して
京都議定書のマイナス6%という目標について、目標設定としての公正さや、
それによる効果の有無(程度)を考えると、その数値に意味があるとは思いません。
その数字は、前述のように「環境を守るために必要な削減量」から計算されたものでも
ありません。後進国の発展による排出量増加が、日本の削減量を帳消しにすることを
思えばもっと世界全体的な総量を考える必要がある問題です。
ただし、世界の総量を考えるならば、それを人口や国土で平均的に配分すれば、
日本の必要とする排出量の削減は6%では話になりません。世界のすべての人の
生活を平均化するならば、日本の生活レベルは大幅に下げる必要があると私は
思います。
ただし京都議定書の数字を達成することは大切と思います。それは、その約束に意味が
あるかではなく、「その約束を守るということ」が日本としての正義であると思うからです。
|