自然の摂理と祈り(2007/04/25)
感謝の心が人間の格
「人間にはコントロールできないもの」として自然現象が存在しました。それは、飢饉や疫病など
人口を何割と言う単位で減らす脅威でもありました。非常に強い道理(=自然の摂理)は動かせず、
強大であると理解していた思います。雨乞いの儀式など「祈り」はそこにあったはずです。
しかし、それは「自然の摂理」を動かすことが出来ません。それでも「祈り」は存在します。
その後、人類は「科学」によって自然を理解し、ある程度の管理と防衛を行うことが出来るように
なりました。それが、幸せだったのかは私には分かりません。見る限り、多くの弊害が発生しています。
人間が謙虚さを失ったこともその一端に思えます。「強大なでコントロール不可能な世界に存在する
ちっぽけな自分」を認識しない人が増えました。思い通りにならないと癇癪を起こすような
子どものような人が社会においても問題を起こしています。
「世界(自然)は強大なでコントロール不可能」であることを認識する人は、感謝の心を持ちます。
他から与えられるすべてが恵みであるからです。しかし、「自分の祈りによって現実が変わる」という
考えを持つ人がいますが、そこには本当の意味では感謝の心がないように私には思えます。
前世の結果が今の幸せ(より不幸な方は世界中にいくらでもいます)の原因と言う考えを持つ人が
いますが、それは傲慢に感じます。また、物事の理由を霊障などに求めることは逃避のように感じます。
世のすべてに感謝し、恩に報いようとすることが、人間の格であると私は信じています。
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