数を数えない (2007/04/09)
棚経は大変か?
お盆には棚経に檀家さんの家を回ります。始めは結構、大変と思っていました。
最初の頃は「あと何件」と数えながら回っていました。家を覚えていないので、
それを地図を見て確かめる必要もあり、「何件終わって何件残っている」ことが
常に頭にありました。
今はその頃より、大変と感じません。慣れも在るでしょうが、数えるのを
やめたことが原因のひとつと思っています。今の家、次の家を考えて、回っている
と「大変だ」という気持ちが起こりません。
全体を考えると大変なことであっても、目の前のことを行うことを繰り返して
いくことで全体を達成することが出来ることもあります。あえて全体を見ない
ことが、各時点での心の負担を軽減できるかもしれません。
人生の意味
「人の一生の意味」を考えると生きることは難しくなります。一生のうちに何を
行い何を残すのか。そのために努力することは素晴らしいけれども、困難です。
まず、その「意味が正しい」ことを確かめることが出来ないからです。
数十億年の地球の歴史を思えば、その中で人間の活動は塵のようなものです。
それでもその中で、「自分自身という確かな存在」を感じていくために、
「人生の意味」を必要とするかもしれません。
「人生の意味」を与えるのは「宗教の存在意義のひとつ」なのかもしれませんが、
残念ながら本質的には「存在しないもの」ですから、どれも「偽物」でしかりません。
偽物であっても、「人生の意味」が存在する(信じることが出来る)のは幸せである
とは思います。
しかし「人生の意味」は自分で選択しなくてはなりません。「人生の意味」は
「神仏に帰依すること」なのか、「後世に記録(名を残す、碑を残す、等)を残す」こと
なのか、あるいは「自らの子孫を残すこと」なのか。様々な価値観の中で自らの
「人生の意味」を見出す必要があります。
「今の精一杯」を容認する
「人生の意味」等なくても良いと思う事があります。ただ今を精一杯生きること
で日々を重ねることが、人生の本質です。その積み重ねが人生を形作っていきます。
その形は「その人の本質」を反映します。「人に親切に出来るのか」「意思を貫けるのか」、
そういったことは様々な言動や思考に表れます。
「人生の形」を思い描いて、そのために行動することは困難であると思います。
それよりは「自分の内面」を磨いた上で、日々を生きることのほうが容易と思います。
「自分の内面」は完全な形を実現するのではなく、少し良い自分を求めることが出来ます。
また、「今の精一杯」を容認して日々生きていけるならば、人生全体の道のりを慮って
生きるよりも心の負担は少ないと思います。
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