感謝の心 (2004/08/22)
功の多少を計り、かの来所を量る
五観の偈のひとつ目の句です。五観の偈は食事の前に唱えるお経ですが
食事に限らずあらゆる事に対しての「観」を表します。
この句が意味は「この食事が私の前に存在するために、多くの大地の恵みや
人の苦労があったことを理解する」ということです。すなわち、「感謝の心を
持ちなさい」という教えです。
経済の発展によって、多くの物が金銭と交換可能な時代となっています。
金銭という対価を払うことで、その品物やサービスを受けることに対する
当然の資格があると誤解してはいないでしょうか?
食物というのは、自然の恵みの一部です。自然の恵みは本当は、所有される
物ではありません。人間界のルールとして便宜的に、所有権を定め、貨幣に
よって流通させているに過ぎません。
私たちが食するものは、他の生物の犠牲の上に成り立っています。私たちの
食事は一部の無生物を除き植物、動物の体といえます。他者の命の犠牲に
よって生きているということを忘れてはなりません。
恵まれていること
私たちは、現在の自分よりも、さらに幸せになりたいと願っています。それは、
良いのですが、「さらに幸せな状態」でないことを「不幸」と感じているの
ならば、それは残念なことです。
私たちが日々の糧を得ることができること、それだけで恵まれていること
です。それを、現代の日本ではあまり感じることができません。誰もが、
幸せであることで、その状態を幸せと感じることができなくなっています。
諸外国や過去の世界を考えることで、自分が恵まれていることを確認できる
かもしれません。世界に多くの国があり、現在においても、政情不安や物資の
不足に悩む国も多いです。
他の国の方との比較を書きましたが、他との比較によって自身の幸せを
確認することは卑しいことではあります。本当は、自分がいま生きている
ことそのことについて感謝するべきです。
10戻る | 前の文 | Page 001/005 | 次の文 | 10進む |
|